
【AFLフラッシュバック 80’s,90’s】第6回 元祖ゲス不倫 ~Wayne CareyのFooty人生~
2019年9月11日AFLフラッシュバック 80’s,90’s
1980年代、90年代にオーストラリアで幼少期、青年期を過ごした筆者が、VFL/AFLの逸話をご紹介します。
第1回 | 2017/10 | 超人気の州リーグ’VFL’から、全国リーグの’AFL’へ |
第2回 | 2017/11 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(前編) |
第3回 | 2018/1 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(後編) |
第4回 | 2018/1 | 80年代~90年代、最強を誇ったPort Adelaideと、AFL参入のゴタゴタ |
第5回 | 2018/7 | キック力は、世界標準!NFLでも通用した、AFL選手達 |
第6回 | 2019/9 | ミスターゲス不倫 Wayne CareyのFootball人生 |
第7回 | 2020/4 | AFLのスタジアム~80年代、90年代のスタジアム探訪~ |
第8回 | State of Origin の歴史 | |
第9回 | 80年代~90年代を彩った、スーパーフォワード |
オーストラリアの超人気スポーツであるオーストラリアンフットボールでは、時にはAFL選手のプライベートやトラブルが紙面を賑わすことが多々ある。その中でも、オーストラリア中を最も喧騒の渦に巻き込んだのがNorth Melbourneのスター選手、Wayne Carey(ウェイン・ケアリー)の不倫騒動だろう。今回は、Wayne CareyのAFL選手としての足跡をたどりながら、騒動のいきさつ等を紹介したい。
ジュニアからAFLまで一気に駆け上がった10代
幼少期をラグビー・リーグが盛んなNSW(ニュー・サウス・ウェールズ)州で過ごしたWayne少年は、ラグビー・リーグから始め、8歳からオーストラリア・フットボールをプレーし始める。家庭の事情で、13歳の時にアデレードに移り住むと、North Adelaide(SANFL)のジュニア・チームで、フットボール選手としての基礎を築いていく。1987年、16歳になり、既にジュニアのキー・ポジション選手としての頭角を表していたWayne 少年の元に、AFL(当時はVFL) , North Melbourneからのオファーが舞い込む。North Adelaideのトップ・チームをすっ飛ばし、いきなりAFLの強豪に入団することになったWayneは、そのままメルボルンに移り住み、主にU-19のチームでプレーする。
そして、18歳になった1989年にトップチームでのデビューを果たすと、1990年には、同じく若くして頭角を表していたJohn Longmire(ジョン・ロングマイヤー)とともに、チームのセンター・ハーフ・フォワードとして攻撃陣を牽引する主力へと成長する。
10代でAFL,North Melbourneの主力へと成長したWayne Carey(写真左), 1990年代のNorth Melbourneを牽引した、Wayne Carey (写真右・左)と現Sydney SwansコーチのJohn Longmire(写真右・右)
AFLのスター選手としての地位を確立した20代
セミ・プロからフルタイム・プロへの転換期であった1990年代初頭のAFLにおいて、身長 192cm, 体重97kgの体格と類まれなるフットボール・センスを併せ持つWaye Careyが、AFLのスター選手としての地位を確立するまでに多くの時間を要することはなかった。1992年にクラブのBest & Fairest(チームMVP)を受賞すると、1993年から1996年まで、4年連続でオール・オーストラリアンに選出される。その後も、再び1998年から2000年まで、3年連続でオール・オーストラリアンに選出される等、多くの個人賞を受賞し、AFLを代表するフォワードとなる。また、1992年と1994年に優勝したWest Coast の若きディフェンス・リーダー、Glen Jakovich (グレン・ジャコビッチ)とは、ポジション柄、対面(トイメン)につくことが多く、1990年代のAFLを代表する名勝負として知られている。
数々の名勝負を演じた、Wayne Carey (下)とWest CostのGlen Jakovich(上)
下り始めた30代、、そして例の不倫騒動
チームのキャプテンを1993年から務め、1996年と1999年に優勝を成し遂げたWayne だが、その圧倒的なマーク力から、現代フットボール史上最高のセンター・ハーフ・フォワードと謳われたこの名手にも、30代になり衰えが見え始める。特に、フィジカルが特徴の選手は、下り坂が急と言われるが、Wayne Careyはその典型だったのかもしれない。2001年には、怪我の影響もありシーズンの半分を棒に振る。そして、再起を期した2002年のプレシーズンにその事件がおきる。チームメイトのGlen Archer(グレン・アーチャー)の自宅で行われていたホームパーティーに参加しいたWayneは、同じく参加していた副キャプテンのAnthony Stevens(アンソニー・スティーブンス)の妻とトイレで情事に及んでしまう(Wayneは後に、彼女が勝手についてきたと言っているが。。)。トイレから二人が出てくるところを目撃した旦那のAnthony Stevensは、その他大勢のチームメイトの前でWayneと口論になる(当たり前か!)。この出来事は、チーム内だけでなく、マスコミを含めた周囲に知られることになり、『チームメイトの妻に手をだした』Wayne Carey は激しいバッシングにさらされる。チーム内で居場所のなくなったWayneは、結局、North Melbourneに自ら契約解除を申し出るとともに、マスコミからの追及から逃れるため、ラス・ベガス(アメリカ)へ雲隠れすることになる。
仲の良いチームメイトだった頃(1996年グランド・ファイナル)のWayne Carey (写真左・左)とAnthony Stevens(写真左・右), 後に離婚することになった、元妻・Kelli Stevens(写真右・右)
Adelaideへの移籍、そして引退へ
雲隠れ後、ほぼ引退状態になっていたWayne Careyは、2002年の暮れに突如Adelaide Crowsと契約したことを発表する。幼少期を過ごしたAdelaideでの再起をはかったWayneだが、2003年シーズンのRound6に、古巣のNorth Melbourneと早くも対戦することになる。当然マスコミはこの『因縁の対決』に注目し、試合は予想通り荒れ模様となる。怒り狂ったNorth Melbourneの選手達は、事あるごとにWayneに激しい当たりを仕掛ける。特に『寝取られた側』のAnthony Stevensの気迫は凄まじく、幾度となくWayneへ突撃する、、が悲しいかな体格差からあまり効いてはいないようだったが。。しかし、試合はそんなプレッシャーをものともしないWayneが4ゴールを挙げ、Adelaideが快勝することになる。その後、Wayneは2004年までAdelaideでプレーし、現役を引退する。
『King(キング)』の愛称で親しまれた(?) Wayne Careyは、2クラブ合計で、通算272試合、727ゴールをあげ、更に2010年にAustralian Football Hall of Fame(殿堂)入りを果たしているが、『光』の部分がある一方、不倫問題だけでなく、ドラッグやアルコール依存症の疑惑等、『影』の部分が満載にあるAFL選手でもあった。そんな過去のあるWayneだが、最近はさすがに落ち着いてきており、Fox Sportsや3AW(ラジオ)等のコメンテーターを務めている。
2003年シーズンのRound6で一触即発のWayne CareyとAnthony Stevens(写真左), スキャンダラスな過去の多かったWayne Carey も、今やお茶の間に顔の一人に。。。(写真右)
宮坂 英樹
1972年7月1日生まれ。父親の仕事の関係で、オーストラリア・メルボルンで、幼少期を過ごす。1994年に、VAFA(Victoria Amateur Football Association) 3部リーグでプレー。国内では、Eastern Hawks等でプレーし、2007年現役引退。現一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会会長。
宮坂さん 待ってました!私はWayne Carey のファンだから、現在のコメンテイターとしての素晴らしさにもう少し触れてほしかったな~。ライバルとしてはシルバーニも忘れられません。