【AFLフラッシュバック 80’s,90’s】超人気の州リーグ「VFL」から、全国リーグの「AFL」へ

【AFLフラッシュバック 80’s,90’s】超人気の州リーグ「VFL」から、全国リーグの「AFL」へ

2017年10月13日 0 投稿者: Hideki Miyasaka

AFLフラッシュバック 80’s,90’s

1980年代、90年代にオーストラリアで幼少期、青年期を過ごした筆者が、VFL/AFLの逸話をご紹介します。

第1回 2017/10 超人気の州リーグ’VFL’から、全国リーグの’AFL’へ
第2回 2017/11 AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(前編)
第3回 2018/1 AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(後編)
第4回 2018/1 80年代~90年代、最強を誇ったPort Adelaideと、AFL参入のゴタゴタ
第5回 2018/7 キック力は、世界標準!NFLでも通用した、AFL選手達
第6回 2019/9 ミスターゲス不倫 Wayne CareyのFootball人生
第7回 AFLのスタジアム事情 ~80年代、90年代のスタジアム探訪(前編)~
第8回 AFLのスタジアム事情~80年代、90年代のスタジアム探訪(後編)~
第9回 State of Origin の歴史
第10回 80年代~90年代を彩った、スーパーフォワード

 

現在、オーストラリアにおいて当たり前のように全国的なリーグとして機能しているAFLだが、リーグの創設は1990年と歴史的には浅い。

AFLの前身となるのは、メルボルンを中心としたヴィクトリア州において運営されていたVFL(Victoria Football League)であることは、AFLファンであれば周知の事実であろうが、今回は、そのAFLの成り立ちを改めて振り返ってみたい。

 

『州レベルのリーグ形成の歴史』

オーストラリアン・フットボールには、もともと、全国リーグは存在せず、ヴィクトリア州、西オーストラリア州、南オーストラリア州、タスマニア州を中心に、各州リーグが、1870年代~1890年代に創設され、それぞれが独自に発展を遂げてきた。

当時から、各州間の一定の交流はあったものの、それぞれが異なった組織によって運営されていた為、ルール等も統一されずにいた。その中で、オーストラリア第2の都市・メルボルンの人口の多さをバックに、人気、実力ともに、他の州リーグを圧倒し始めたのが、当時のVFLである。

1970年代になると、セミ・プロであるにも関わらす、その豊富な資金力で、各クラブは、他州の有力選手の引き抜きを始める。

特に、North Melbourne は、WAFL(西オーストラリア州リーグ)で、3度 Sandover Medal (年間MVP) を受賞した名 Rover の Barry Cable、同じくWAFLからCHBの Ross Glendening 、更にSANFL(南オーストラリア州リーグ)で、 Magarey Medal (年間MVP)を受賞した Malcom Blight 等を次々と引き抜くと、2度の優勝を含む、通算5回のGrand Final進出を果たし、黄金期を築くことになる。

また、Hawthornも、70年代に3度の優勝を飾るが、その大きな原動力となったのは、TFL(タスマニア州リーグ)では、もはや伝説的なフォワードとなった Peter Hudson の加入であったことは疑いの余地がない。

  

North Melbouneの黄金期を支えた助っ人三人衆
(左からBarry Cable ,Ross Glendening ,Malcom Blight)

この頃になると、通常のリーグ戦では平均2~3万、Grand Finalでは、10万人の観客を集めるようになり、更にTV放映のカラー化に伴い、その人気は、メルボルンだけでなく、オーストラリア全土に広がるようになった。

 

『激動の80年代、90年代』

80年代初頭、全国区の人気リーグへと成長したVFLは、フットボール不毛の地として知られていた、ニュー・サウス・ウェ-ールズ州(シドニー)や、クィーンズランド州(プリズベン/ゴールドコースと)への進出を目論むようになる。

そんな中、Collingwood, Essendon, Carlton 等の人気クラブとは反対に、財政難に苦しむ Fitzroy や South Melbourne 等の不人気クラブを中心に、これらの地域への移転が検討されるようになる。

特に、South Melbourne や Albert Park などの居住者の少ない地区を本拠地としていた South Melbounre Swans は、Club Membership の数だけでなく、狭隘な Draft Zone の影響で、人気、実力ともに下降線を辿っていた。

そんな財政難に苦しむクラブは、1982年に全てのホームゲームをシドニー(Syndey Cricket Ground)で行うことを決める。

1983年には、クラブはシドニーへの移転を正式に決め、クラブ名を Sydney Swans へと改名。80年以上の歴史を誇ったVFLにおいて、初となるヴィクトリア州以外のチームが誕生する。

 

South Melbourne Swans からSydney Swans へ。。VFLにとって大きな展開期を迎える
(左は、シドニー・ハーバー・ブリッジが追加された、移転直後の新しいロゴ)

この出来事を境に、VFLは全国リーグへの道へ進んでいく。

1987年には、西オーストラリア州を本拠地とした West Cost Eagles、クィーンズランド州を中心とした Brisbane Bears(後に、Fitzoryと合併し Brisbane Lions となる)を Expantion チーム(新設クラブ)として立ち上げる。

1990年にはVFLから、AFL(Australian Football League)へリーグ名称を変え、正式に全国リーグとなる。

その後、1991年に南オーストラリア州から Adelaide Crows、1994年に、西オーストラリア州から2つ目のクラブとなる Fremantle Dockers、1997年に、南オーストラリア州からも2つ目のクラブとなる Port Adelaide Powers を加え、急速に拡大していく。

 

1990年 遂に、”AFL”となり、その記念の年に優勝したのが、超人気の伝統クラブ Collingwood

 

『2000年以降~、そして現在』

2000年以降は、2011年に、クィーンズランド州から Gold Coast Suns、2012年に、ニュー・サウス・ウェールズ州から、Greater Western Syndey Giants を加え、現在の18チームのリーグとなる。

その内訳は、ビィクトリア州10チーム、西オーストラリア州、南オーストラリア州、ニュー・サウス・ウェールズ州、クィーンズランド州からそれぞれ2チームの構成となる。

今後、タスマニア州やノーザンテリトリー準州からの参戦も計画されているが、やはり人口の面からも、マーケットとして成り立ち難くいのではないかと言われてる。(タスマニアの州都ホバートでさえ、人口約20万人程。。)

そう言った意味では、AFLのマーケットは、人口僅か約2,500万人弱のオーストラリアだけで賄うには、限界が来ているのかもしれない。

このグローバル化の時代、AFLは今後、オーストラリア外への進出を見据えているのではないだろうか。

宮坂 英樹
1972年7月1日生まれ。父親の仕事の関係で、オーストラリア・メルボルンで、幼少期を過ごす。1994年に、VAFA(Victoria Amateur Football Association) 3部リーグでプレー。国内では、Eastern Hawks等でプレーし、2007年現役引退。現一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会会長。

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