【Skills of Australian Football】ハンドボール

【Skills of Australian Football】ハンドボール

2018年12月6日 0 投稿者: Oko Compton

かつてはディフェンスの手段としてのみ使われたスキルだが、今では最も攻撃的なスキルの一つとなっており、選手達は素早く最適なオプションを見つけることができる。

 

1970年グランドファイナルのハーフタイム、カールトンFCの選手達は、メルボルンクリケットグラウンド(MCG)の着替え室の椅子にドカリと座り込こんだ、コリンウッドFCに44点差で負けており、コーチ、ロン・バラッシは、落胆する選手達に質問を投げかけた。「うちのチームのハンドパスがいくらかわかるか?」「25または30」という返答が返ってくるとバラッシは怒鳴った、「ひどく最悪な16だ!」

 

バラッシはその後、素早くボールを運ぶ手段としてハンドボールを利用し、何としてでも勝負をかけろと選手全員に指示を出した、それがコリンウッドのマークが得意な長身選手を無力にさせることを願って。「僕らはボールを相手チームの頭上より向こうへ飛ばすことができなかった。」呼び戻されたカールトンの元ディフェンダーであり、その日はハーフバックのポジションでプレーしていたジョン・グールドは言う。「だからハーフタイムの後、ゴールの反対側に向かってハンドボールを回し、ディフェンスから30~40ヤード離れたところでハンドボールを回して、相手チームの頭上を越えて長いボールを蹴ることで長身の選手をプレーから離すことに成功したんだ。カールトンがあの試合に逆転勝利することができた最大の要因はそれだったと僕は思ってるよ。」

 

そしてブルーズは本当に逆転してみせたのだ、驚くべき後半戦でブルーズはハンドボールを攻撃の手段として使い、ボール運びを死守し続け、圧倒されているマグパイズに圧勝し、13ゴールと4ポイントの差をつけて、史上最も有名なグランドファイナル勝利として記録に残る試合をしてみせたのだ(17.9(111)対14.17(101))。しかし、あの日のカールトンの功績とハンドボールが称賛されてきたにもかかわらず、両チームを合わせてもハンドボールが使われたのは73回のみ(カールトン40回、コリンウッド33回)ということもまた事実なのだ。この統計を2015年のグランドファイナルと比べてみると、ホーソーンFCとウェストコーストFC両チームの選手を合わせて329回のハンドボール(ホーソーン166、ウェストコースト163)が使われ、1970年からの45年間で、ハンドボールを使用することがどれだけ頻繁になったかは誰が見ても明らかだ。

ハンドボールを使うこと―片手でボールを持ち、もう片方の拳の上部でボールをパンチすること―は、1850年の発端当時から、オージールールの基本スキルとされてきた。しかし、何十年もの間、コーチ達は、試合の中で攻撃の手段としてハンドボールを使うことをしぶり、選手達には、コンテストがある方へ長いキックを蹴り、今まさにタックルされそうなピンチの時にだけハンドボールを使うよう指示していた。

 

ハンドボールを攻撃の武器として使うことができると、初めて評価したのは、AFLの世紀最高といわれたチームのコーチ、ノーム・スミスの兄である、レン・スミス(1958‐62フィッツロイFCコーチ、1964‐65リッチモンドFC)である。レン・スミスの攻撃に対するコーチングスタイル―彼は選手達に、開いた手のひらでボールを跳ね飛ばすよう教え、彼のチームはよりいっそう速いペースでボール運びができるようになったのだが、この【跳ね飛ばしパス】はその後すぐに試合での使用が禁止されてしまった。―しかし、このことがゲームのスタイルを変え、1970年代までには、全てのチームで攻撃とディフェンスの手段としてハンドボールが使われるようになった。

 

実際、1979年のカールトンのプレミアシップチームは、スピーディーな選手【モスキートフリート(小柄だが足が速くボール回しが速いミッドフィールド選手集団のことをいう)】に恵まれ、ハンドボールと走りを死守し、相手チームをクタクタに疲れさせたのである。ちなみに、その日のカールトンのコーチは、1970年のあの決勝試合で、バラッシ監督の元でプレーしたアレックス・ジェザレンコだった。バラッシは、彼がハンドボールについて知っている全てのことはレン・スミスから教わったと認める。

 

ハンドスキルは、オーストラリアンフットボールの様々な領域においてきわめて重要なスキルである。ラックプレーからグラウンドからボールを拾うことやボールのバウンド、ハイマークをつかむためのジャンプに至るまで、高く完全なスキルを持つ選手は、ボールを同じようにコントロールできない相手選手に対して優位になることができる。その他のどのハンドスキルよりもハンドボールはとりわけ、成功できるチームの基準を定める一つの要素として存在しているのだ。そしてキッキングとは異なり、ボールを落とすことや特定の方法でボールを持つ必要性に左右されないため、ハンドボールは、体形や身体の大きさに関わらず誰でも使うことができるスキルなのだ。コーチやリクルーター達は、素早く完全なハンドスキルを持つ選手や、ハンドボールを賢く回し、自分のチームメイトをプレーに引き込むことができる選手であれば誰にでも鋭い視線を注ぐ。

 

AFLレジェンドであり、ノースメルボルンの元ローバーのバリー・ケーブルによれば、彼の一番の強さは、ボールの取り合いになった時に手際よくボールを得ることができ、彼の優れた視力とタイミングを利用し、自分より良いポジションにいるチームメイトにハンドボールを回す能力だという。

 

ジロングFC、イーストパースFC,そしてウェストパースFCの元ラックマンであり、AFLレジェンドの我らがグラハム【ポリー】ファーマーは、ケーブルよりも23㎝高い身長にもかかわらず、同等に効果的なハンドボールを回し、チームメイトにチャンスをもたらすことができた。よく知られるもので、ファーマーが、彼が働いていた自動車整備工場で、わずかに開いた車の窓にフットボールをハンドボールして入れることができたという写真があるが、これは彼にとてつもなく正確なスキルが備わっていることを証明している。そして、1960年以降、数えきれないほどの選手達が様々なテレビ番組に出演し、動いたりスピンしたりするターゲットに向かってハンドパスをするというハンドボールの競争に勝とうと挑戦してきたのだ。コリンウッドFCの元プレミアシップキャプテンであるルー・リチャードに因んで名づけられた、【ルーのハンドボール】は、リチャードがテレビ界からリタイヤして長い時間が経った今でも、9チャンネルのサンデーフティショーのハイライトとして残っている。

 

過去20年で、ハンドボールを見事に操ることとハンドボールを素早く供給することにかけて1番の3選手が、彼らのチームの中で最も速い走者ではないというのは少々皮肉な話である。2度のブラウンローメダルを受賞したグレッグ・ウィリアムズ、元プレミアシップキャプテンのホーソーンFC、サム・ミッチェル、ジロングFC、キャメロン・リンは皆それぞれ、グランドファイナルの短距離競争には決して勝つことができなかっただろう、しかしハンドボールを使うことにかけては、この3人のチャンピオンより素早い選手はほとんどいなかった。なぜならこの3選手は、左右の手どちらからでも、15~20m以上離れた場所からピンポイントでハンドボールを回すことにかけては皆同等に熟達していたからだ。

 

「僕がティーンエイジャーの時はずっと、両手でハンドボールを回すことと、両脚でキックすることを確実に習得しようと努力していたよ。」とリンは言う。「昔はどれだけ自分がへたくそでも、左手でハンドボールを回すようにしていたからどんどん上達していったんだ―右脚で蹴ることにしても同様にしていたよ。13歳以下、15歳以下、18歳以下チームに進出していった時は、何でもできる限り素早く行うってことを重視していた、だから激しい状況下で練習するようにしていたよ、あたかもそれが本当の試合かのようにね。」リンは、「至近距離からの素早いパスのようなこと」や「走り過ぎていく誰かに向かってグラウンドボール跳ね上げたり」していたと認める。なぜなら、「ボールを完璧に自分の手中にとらえ、チームメイトに素早くハンドボールできなければいけないから」だとリンは説明する。

 

ウィリアムズは1度こんなことを言った、「僕がハンドボールをたくさん使うのは、自分ではパックを抜け出すことができないからなんだ。僕の仕事は、走り過ぎていくアンドリュー・ボウ(その当時のジロングでのチームメイト)のようなやつらにボールを回してパックから出すことなんだ。」ウィリアムズがジロングの成功にとってあまりに重要な選手だったため、その当時のジロングのキャプテン、マイケル・ターナーが「我々のチームにとって最も重要な選手だ」と言ったほどだ。実際、ウィリアムズに【ディーゼル】というニックネームがついたのは、彼がディーゼルエンジンのように「遅いが頼りになる」選手だからだった。

 

ミッチェルにつけられた、「ザ・エクストラクター」というニックネームもまた、彼の至近距離からの並外れたハンドワークがゆえだ。8シーズン中4回のプレミアシップを誇る(2008年、2013~2015年)力のあるスター選手でいっぱいのホーソーンFCの中で、ミッチェルは常にグラウンド中央の原動力として存在し続け、見事なタイミングとタッチのおかげで、他のチームがタガーをつけて彼の持つ影響力を打ち消そうと試みさせるようなホークス選手達の1人になったのだ。1970年代にケーブルがやったのと同様に、ハンドボールを抜群に適した位置へ、抜群に適したタイミングでリリースすることで、チームメイトを試合に引き込むことができる大きな要素をミッチェルは持っていた。

 

現代のフットボールにおいての過度のハンドボールの使用や、ボールを相手チームに近づけない戦法が、ゲーム全体の素晴らしさを損ねていると論じる者もいた。ハンドボールの洗練された技術を評価する者たちは、選手達が、ドロップパントキックと似たようなスピンの仕方をする―ボールの片側の継ぎ目に拳が接触した後ボールが回転する―よりパワフルなハンドボールを使っていた1970年、80年、90年代とは異なり、今日の選手達は、ボールをただ放り上げ、ボールを争う選手達でよりいっそう密集するようになったエリアからボールを出そうとしていることを嘆いている。

 

ということは、(選手達で)混雑した中でボールを得ることができ、状況を素早く判断し、両方の手どちらからでもピンポイントでハンドボールを回すことができる選手は、チームの重要なメンバーとして、そしてファンのお気に入りの選手として存在し続けるのだ。ミッチェル、サイモン・ブラック(ブリスベンFC1998‐2013)、マット・プリディス(ウェストコーストFC)、ジョーブ・ワトソン(エセンドンFC)、スコット・トンプソン(アデレードFC)、ジョシュ・ケネディー(シドニーFC)、ギャリー・アブレット(ジロングFC、ゴールドコーストFC)、そしてスコット・ウェスト(ウェスタンブルドッグFC1993‐2008)は皆それぞれ、多くの新人フォワードにとって中心的存在であり続けた。

エンジンルームから:ジロングFCのプレミアシップ3冠選手であり、2011年のキャプテン、キャメロン・リンは、バトルの最前線でプレーしてきた。Skills of Australian Football の初版(2009年)から引き抜いたこの写真には、試合中のリンのひたむきさだけでなく、一流のハンドボールのテクニックが表れている。ポジショニング、ねらい、硬く握られた拳で完璧にボールを打っているところや、しっかりとしたフォロースルー。2000年~2011年、キャッツで246試合をプレーしたリンはその後、コメンテーター、解析者としてメディアでのキャリアを進み始めた。

ハンドボールパスの回し方

1.ポジショニング
身体のポジションを横向きにとり、バランスをしっかりとる。体重を前方に向かってかけながら右脚に移し、目はターゲットに向かってしっかりと集中させる。両腕をわずかに曲げ、ボールの先はターゲットの方を向いている。ボールをパンチする方の拳はボールの先に向かって動き始める。

2.インパクト
両目をパスを受ける選手に集中させたまま、体重を前方にかけ続ける。打つ方の拳でボールをターゲットに向かって真っすぐ、逆回転で放つ(ドロップパントキックとほぼ同じ)。

3.フォロースルー
パンチした方の手はターゲットに向かってしっかりと伸ばし切り、頭は終始しっかりと安定したポジションに保ち続ける。ハンドボールを見届けるため走り続け、パスを受けた者をサポートする。

 

アタッキングウエポン

今日のゲームにおいて、選手達はディフェンスから攻撃態勢へとボールを運ぶことができるため、ハンドボールは攻撃において大きな武器なのである。日常的な練習を必要とするスキルであり、、マット・プリディス、ジョシュ・ケネディー(シドニーFC)やサム・ミッチェルのような洗練されたハンドボールスキルを持つ選手を見ることで自分のスキルを上達させることができる。

 

ハンドボールを教える際のポイント

1.ボールを握る方の手は必ず軽くボールを握り、しっかりと握った拳でボールを打つ。

2.ボールを打つ拳は親指が他の指の内側に入り込んでいるのではなく、外側にでていること。

3.スタンスは、ボールを打つ方の手を自由に振りきることができるよう、ほぼ横向き。
バランスを維持するため、両ひざはわずかに曲げる。

4.右利きでのハンドボールは左足を前に、左利きの場合はその逆。

5.ボールを打つ方の手腕もわずかに曲げる。

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