
【AFLフラッシュバック 80’s,90’s】第3回 AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(後編)
2018年1月21日AFLフラッシュバック 80’s,90’s
1980年代、90年代にオーストラリアで幼少期、青年期を過ごした筆者が、VFL/AFLの逸話をご紹介します。
第1回 | 2017/10 | 超人気の州リーグ’VFL’から、全国リーグの’AFL’へ |
第2回 | 2017/11 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(前編) |
第3回 | 2018/1 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(後編) |
第4回 | 2018/1 | 80年代~90年代、最強を誇ったPort Adelaideと、AFL参入のゴタゴタ |
第5回 | 2018/7 | キック力は、世界標準!NFLでも通用した、AFL選手達 |
第6回 | 2019/9 | ミスターゲス不倫 Wayne CareyのFootball人生 |
第7回 | AFLのスタジアム事情 ~80年代、90年代のスタジアム探訪(前編)~ | |
第8回 | AFLのスタジアム事情~80年代、90年代のスタジアム探訪(後編)~ | |
第9回 | State of Origin の歴史 | |
第10回 | 80年代~90年代を彩った、スーパーフォワード |
AFLで活躍している2世、3世選手は非常に多い。かつての名選手のジュニアから、はたまた驚きの”AFL”ファミリーを、前編、後編に分けて紹介する。
『親子の身長差20cm ~Tom Liberatore』
2016年、Western Bulldogsの62年振りの優勝に貢献したTom Liberatoreも、2世選手になる。Bulldogsの中盤の選手として、既に116試合の実績を誇るTomだが、その父親は、1990年にBrownlow Medalを受賞した、名RoverのTony Liberatoreである。イタリア系移民の子供として生まれた、Tony Liberatoreは、163㎝と、AFL随一の低身長であったが、1992年~1996年の5年間で年間100タックル以上を達成したファイターでもあった。ジュニアのTomは、183cmなので、親子の身長差はなんと20cmということになる。因みに、”Liberatore”の発音はイタリア式だと”リベラトーレ”だが、オージー・イングリッシュだと”リベラトーライ”となるらしい。。。
183cmのTom Liberatoreと、” 歴代最小のBrownlow Medalist ″, 163cmの父親Tom Liberatore
『Collingwood , Shaw兄弟のジュニア ~Heath Shaw』
2004年~2013年まで、人気クラブCollingwoodでプレーし、2014年~ Greater Western Sydneyでプレーする快速ディフェンダー、Heath Shawは、1970年代、1980年代に活躍したShaw兄弟の長男、Ray Shawのジュニアである。Collingwoodのキャプテンとして活躍したRay Shawだが、Collingwoodを退団後のキャリアも興味深い。1983年と1984年に、VFA(現VFL)のPrestonで選手兼コーチとして、リーグ連覇に貢献すると、VFA Divison2のWaverlyでもプレーする等、トップリーグから地域リーグまで、思う存分、選手生活を全うした、”典型的なFooty好きオージー”であった。なお、Shaw兄弟の次男、Tony Shaw(Heath Shawの叔父)は、兄のRay退団後もCollingwoodプレー。1987年~1993年まで、キャプテンを務ると、1994年、兄とは正反対に、”トップリーグ”で選手生活を終えている。
Heath Shawと、Shaw兄弟 , Ray (父親)とTony (叔父)
『神の子(Son of God) ~Gary Ablett Jr.~』
最も有名な、かつ実績のある2世選手と言えば、やはりGary Ablett Jr.になるだろう。現代Football史上、最高の選手の一人と言われるGary Ablett Jr.は、2001年にGeelong Catsに、Father – Son Ruleで指名を受ける。デビュー後の数年間、フォワードとしてプレーした後、2007年に中盤へとポジションを移すと、一気にその才能を開花させる。2007年に20票でBrownlow Medal 6位にランクされ、その年のCatsの優勝に貢献すると、2009年に30票を獲得し、初のBrownlow Medalに輝く。2011年、5年総額900万ドルの契約で、Gold Coast Sunsに活躍の場を移すと、2013年に、2度目のBrownlow Medalに輝く。
父親のGary Ablett Sr.は、そのプレースタイルは息子とは大きく異なるものの、1980年代~1990年代、Geelong、そしてAFLを代表するスーパーフォワードであった。Gary Ablett Sr.は、1982年、Hawthornで、プロ選手としてスタートするものの、メルボルンの都会の生活に慣れず、僅か6試合の出場で退団し、故郷に戻ってしまう。しかし、メルボルンより、”やや”田舎のジーロングの生活に満足したのか、1984年よりGeelong Catsのフォワード(主にハーフ・フォワード)として活躍。1989年のGrand Finalでは、9ゴールを挙げて、準優勝ながらNorm Smith Medal ( Grand Final MVP)に輝く。1993年、フル・フォワードへコンバートされると、その高い決定力を発揮し、124ゴールで初のJohn Coleman Medal (得点王)を獲得。1994年、1995年にも連続で、John Coleman Medal に輝き、1997年の引退までに、トータル1,030ゴールを挙げた(VFL/AFL歴代5位)。その高いマーク力と、ゴール前の決定力から、通称”God”(神)と呼ばれたGary Ablett Sr.は、2005年にAustralian Football Hall of Fame(殿堂)入りを果たしている。
そんな”神の子”のGary Ablett Jr.も、33歳となり、度重なる怪我の影響からか、ここ数年、パフォーマンスの衰えは隠せない。しかし、2018年シーズンより、古巣のGeelongに帰還し、最後の華を咲かせられるのか見守りたいところである。
”神の子”Gary Ablett(左)と、Specky (スーパー・マーク)の代名詞、”God” ,Gary Ablett Sr.
『華麗なるFootball 一族 ~Ablettファミリー~』
Gary Ablett Jr.とGary Ablett Sr.の親子だけでなく、その一族も、AFL選手だらけなのが、Abelttファミリーである。まず、Gary Ablett Sr.の二人の兄、KevinとGeoffは、VFL選手であり、特にGeoff Ablettは、Hawthornで200試合以上の出場を誇る、名Wingだった。Gary Ablett Jr.の弟、Nathan Ablettも、2005年~2007年まで、Geelong Catsでプレー。更に、Gary Ablett Jr.のいとこ( Kevin Ablettのジュニア)のLuke Ablettは、2002年~2009年まで、Sydney Swansでプレーし、2005年にはSwansの初優勝に貢献している。また、Ablett姓ではないが、Gary Ablett Sr.の妹は、元チームメイトであり、Hawthorn のレジェンド、通算426試合出場(VFL/AFL歴代2位)のMichael Tuck と結婚しており、その2人の息子のShaneとTravisも、それぞれ、RichmondとHawthornでプレーしていたAFL選手である。かなり複雑な相関関係なので、下記の家系図を参考にして欲しいが、いずれにしても、ここまでVFL/AFL選手だらけだと、親族の集まりでは、話題は、100%Footy関連であることは容易に想像はつく。。。
宮坂 英樹
1972年7月1日生まれ。父親の仕事の関係で、オーストラリア・メルボルンで、幼少期を過ごす。1994年に、VAFA(Victoria Amateur Football Association) 3部リーグでプレー。国内では、Eastern Hawks等でプレーし、2007年現役引退。現一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会会長。