
【AFLフラッシュバック 80’s,90’s】第8回 メルボルンが悲嘆に暮れた日~1992年 AFL Grand Final~
2020年5月1日AFLフラッシュバック 80’s,90’s
1980年代、90年代にオーストラリアで幼少期、青年期を過ごした筆者が、VFL/AFLの逸話をご紹介します。
第1回 | 2017/10 | 超人気の州リーグ’VFL’から、全国リーグの’AFL’へ |
第2回 | 2017/11 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(前編) |
第3回 | 2018/1 | AFLでは、2世、3世プレーヤーは当たり前!(後編) |
第4回 | 2018/1 | 80年代~90年代、最強を誇ったPort Adelaideと、AFL参入のゴタゴタ |
第5回 | 2018/7 | キック力は、世界標準!NFLでも通用した、AFL選手達 |
第6回 | 2019/9 | ミスターゲス不倫 Wayne CareyのFootball人生 |
第7回 | 2020/4 | AFLのスタジアム~80年代、90年代のスタジアム探訪~ |
第8回 | 2020/5 | メルボルンが悲嘆に暮れた日~1992年 AFL Grand Final~ |
1990年から全国リーグとしてのAFLがスタートした。しかし、元々、ビクトリア州のクラブを中心としたVFLが元となっているリーグであることから、AFL設立当初からメルボルンだけでなく、ビクトリア州のファンにとって『全国リーグになったとしても、優勝は必ずビクトリア州のクラブでなくてはならない』という思いが少なからずあった。そんなメルボルンっ子の思いとは裏腹に、Premiership Flag(優勝フラグ)が、初めてビクトリア州の外に出ることになるのが、AFL設立3年目の1992年になる。
快進撃を続けるヤング・イーグルズ
1987年、西オーストラリア州からのエクスパンション (新規拡張)クラブとしてVFLに参戦したWest Coast Eaglesは、西オーストラリア州出身の元VFL選手に頼るのではなく、地元のリーグ(主にWAFL)の若手選手を地道に育てていくことで、VFL/AFL内で徐々に力をつけていった。1990年、指導者として頭角を表していたMick Malthouse(ミック・モルトハウス)がコーチに就任すると、早速1991年に初めてGrand Finalに進出する。経験豊かなHawthornの前に敗れ準優勝に終わったものの、若い選手を中心とした躍動感あふれるWest Coastのプレーは、ビクトリアのクラブを脅かす新たな存在としてメルボルンっ子の脳裏に焼き付いた。そして、1992年シーズン、リーグ戦を4位で終えるものの、ファイナル・シリーズではHawthorn,Geelongに連勝し、ストレートでGrand Finalに再び進出する。


1991年,1992年と2年連続Grand Finalに進出したWest Coast Eaglesは、名将・Mick Malthouseの元でGolden Era (黄金時代)を築いていくことになる
『外様』のGeelongに思いを託す、メルボルンっ子の複雑な心境
Grand Finalにストレート・インしたWest Coast の対戦相手は、Preliminary Final でFootscray(現Western Bulldogs)を下した、Geelong Catsに決まった。Geelongは、1897年のVFL設立当初から
参戦しているビクトリアの所謂『オリジナル・エイト』の古豪だが、メルボルン市民からすると、所詮メルボルンの南西約70キロに位置する『地方都市のクラブ』であり、他のメルボルン市内のクラブとは格が違う。そんな『外様』のクラブに、ビクトリアのブライドを託さなくてはならなくなってしまったメルボルンっ子の思いは複雑であった。。
とはいえ、ビクトリア州の非常事態であることは変わりはなく、Grand Final が行われる週は、如何にWest Coastの優勝を阻むかで、メルボルン中のメディアが喧噪の渦の中になった。特に、50メールアークの外から次々とゴールを陥れていた、West Coastの爆速ウィンガー Peter Matera (ピーター・マテーラ)の阻止が話題に中心となっていたが、決戦の2つ日前、Geelongはベテランのローバー、Neville Bruns(ネビル・ブランズ)を急遽チームのスカッドに加えると発表する。この発表を受け、マスコミ各紙は、『Geelongはベテラン選手を使って、スピードではなくテクニックでMateraを抑えこむ意図では?』との憶測が流れる程だった(結局、当日の試合では、Brunsはベンチ・スタートとなり、別の選手がMateraにマッチアップすることになったが。。)。


ファイナル・シリーズに入りゴールを連発するスピードスターのPeter Matera(写真左) と、Geelongの臨戦態勢に備え、急遽招集されたベテラン・ローバーのNeville Bruns(写真右)
そして決戦、、前半Geelongは善戦するものの、、
1992年9月26日土曜日、運命の決戦の幕が開ける。序盤、ビクトリア中の期待を背負ったGeelongの選手の出足は早く、やや緊張気味のEaglesの選手にプレッシャーをかける。中盤で素早く奪ったボールを立て続けにゴールし、第1Qを終えて17点のリードを保つ。第2Qも、エースのGarry Ablett (ギャリー・アブレット)のロングゴール等で、一時は最大で4ゴール差にリードを拡大する。しかし、徐々に緊張から解放されてきたWest Coastが追い上げていき、前半を終えて12点差までに詰め寄る。


存在感を見せつけるGeelongのエース Garry Ablett (写真左)と、マッチアップするEaglesのディフェンス・リーダー John Worsfold (写真右 / 現Essendonコーチ)
後半に入ると。Geelongのプレッシャーが甘くなり、中盤のボール支配を高めていくWest Coastは確実に点差を詰めていく。そして、 Peter Materaの右サイドからのランニング・ゴールで逆転すると、第3Qに総計5ゴールを挙げて17点のリードを奪う。第4Qも、フォワードのPeter Sumich (ピーター・スーミッチ)の正確なセットショット・ゴールや、Peter Materaのこの日5つ目のランニング・ゴール等で加点し、Geelongを突き放す。
West Coast Eagles初の戴冠、そしてAFL新時代へ、、
28点のリードを保ったまま、第4Qのサイレンが鳴り、ついにWest Coast Eaglesが初の戴冠に輝く。そして、96年間ビクトリアの外への流出を許さなかったPremiership Flagが、ついに、西オーストラリア州へ渡ることになった瞬間でもあった。メルボルン市民にとっては、屈辱の瞬間でもあったが、同時にアスリートとしてのフィジカル能力に優れたWest Coast Eaglesのプレーを目の当たりにし、本格的なプロリーグへの移行が進んでいくことを実感させる内容でもあった。
事実、2000年代初頭までには各選手のフルタイムプロ化は実現されていき、現代的なフィジカルトレーニングの導入によって、各選手のフィジカルレベルはあがっていく。また戦力均衡化を目的としたドラフト制度の導入によって、各クラブは選手の出身地にこだわることなく、選手の獲得を進めていくことになる。なお、AFL設立の1990年からは2019年までの30年間で、優勝回数はビクトリア州のクラブが18回、ビクトリア州以外のクラブの優勝は12回となっている。18クラブ中10クラブがビクトリア州であることを考慮すると、全国リーグの展開と公平なコンペティションを掲げていたAFLの理念は、ある程度達成されているということになるのだろう。


AFLの新たな時代の幕開けとなったWest Coast Eaglesの1992年の優勝(写真左), Norm Smith Medal (Grand Final MVP)は、ウィングポジションから5ゴールを挙げて圧倒的なパフォーマンスを見せたPeter Materaが輝く(写真右)