About the AFL Japan 新

AFL JAPAN について

ミッション

企業、団体、地域との繋がりを大切にし、共に発展していくことで、スポーツ文化の浸透と発展に貢献する。

ビジョン

強化

国内リーグの競技力向上、トッププレイヤーの輩出、日本代表の国際舞台での活躍を重視した強化に取り組む。

環境

より多くの人が、様々な形でオーストラリアンフットボールに関わり、楽しめる環境を作り上げる。

育成

持続的な発展を支える若年層のプレイヤー、並びにクラブ、リーグを運営する幅広いメンバーを育成する。

普及

国内の普及に留まらず、アジアや世界各国との連携の中で、リーダーシップを発揮し、オーストラリアンフットボールのグローバルな発展に貢献する。

連携

企業、団体、地域との繋がりを大切にし、共に発展していくことで、スポーツ文化の浸透と発展に貢献する。

バリュー

①“Footy”を楽しむ

オーストラリアンフットボールを楽しむ喜びを原点とする。

②常に“Fairest”であれ

プレイヤー、クラブ、アンパイアを尊重し、フェアなプレーと精神を貫く。

③多様性を”Lead”する

性別、年齢、国籍など、多様な人々が楽しめるオープンなコミュニティを率先して築く。

④”Tackle” new challenges

コミュニティのために、変化を恐れず難しい課題に挑戦する。

⑤Make “Mates” Globally

オーストラリアンフットボールを通じて、日本とオーストラリア、並びに世界の人々との友情を築き上げる。

AFL Japan とは?​

 1986年設立後、2004年に正式にAFL傘下となり、オーストラリアンフットボールの普及促進とともに、オーストラリアと日本のスポーツ・文化交流に貢献することを目標に活動。

 日本に初めてオーストラリアンフットボールが来たのは1986年。当時オーストラリアンフットボールのプロリーグはまだ VFL (Victorian Football League) と呼ばれており、ビクトリア州以外にも本拠地を置くプロクラブが増え始め AFL (Australian Football League)へと名称を変える前の事です。その年のシーズンに優勝し、当時全盛を迎えていた AFL クラブ Hawthorn Hawks と Carlton Blues を横浜スタジアムに迎え、25,000人の観客を集めて試合が行われました。この時に現在の AFL Japan の前身となる JAFA (Japan Australian Football Association) が誕生する。

 その後2004年には AFL の傘下に入り、正式名称を日本オーストラリアンフットボール協会と定め、略称を JAFL (Japan Australian Football League) へと改名。2011年には法人格を取得し協会の正式名称を一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協、略称を AFL Japan へと改名。

 現在、日本オーストラリアンフットボール協会は、国内リーグの運営、オーストラリアンフットボール普及活動、日本代表チーム海外派遣などの活動を精力的に行っている。

3大ビジョン

  1. 日本代表の強化:

    日本人AFLプロ選手の輩出を目指した強化・育成活動。

  2. 国内リーグの活性化:

    地域・大学・社会人から成るリーグの安定した運営。リーグ参加チーム数の増加。ファンの拡大。

  3. 競技人口の増加:

    フットボール・クリニックを定期的に開催し、ユース世代を育成する。

組織

  • 組織名称:

    一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会
    (Australian Football League Japan)

  • 公式ロゴマーク:

  • 設立年:

    2004年
    ※JAFA(Japan Australian Football Association)としては1986年

  • 海外所属組織:

    1. AFL (オーストラリアンフットボールリーグ:Australian Football League)

  • 組織委員:

理事会

役職名前
理事長 / Chief Director宮坂 英樹/Hideki Miyasaka
監事 / Auditor飯田 健夫 / Takeo Iida
監事 / Auditor荒木 潤 / Jun Araki
理事 / Director榊 道人 / Michito Sakaki
理事 / Director久納 陽介 / Yosuke Kuno
理事 / Directorペリー・ブラウン / Perry Brown
事務局
部門名前email
競技運営部久納 陽介 / Yosuke Kunoy_kuno@jafl.org
日本代表部ペリー・ブラウン / Perry Brownp.brown@afljapan.org
普及育成部榊 道人 / Michito Sakakim_sakaki@jafl.org
WEB・財務部久納 陽介 / Yosuke Kunoy_kuno@jafl.org
広報部info@jafl.org
A.LEAGUE 実行委員会
役職名前email
A.LEAGUE マネジャー豊島悠太/Yuta Toyoshimaaleague@jafl.org
A.LEAGUE 実行委員ペリー・ブラウン/Perry Brown
稲垣 瑛人 / Eito Inagaki
GO.LEAGUE 実行委員会
役職名前email
GO.LEAGUE マネジャー榊道人 / Michito Sakakigoleague@jafl.org

AFL Japan 沿革

2018A.LEAGUE、GO.LEAGUEが発足
2017
2016
2015
2014日本代表サムライズが第5回International Cupに出場。参加18カ国中総合14位
湘南ポセイドンズがトップリーグ参戦
東京ベイサンズがトップリーグ2連覇
2013東京ベイサンズがトップリーグ参戦
東京ベイサンズがトップリーグ初優勝
2012R246ライオンズがトップリーグ参戦
東京ゴアナーズがトップリーグ優勝
2011日本代表サムライズが第4回International Cup に出場。参加18カ国中12位
大阪ディンゴーズがトップリーグ初優勝
一般社団法人格を取得。正式名称を一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会、略称をAFL Japanとする
2010東京ゴアナーズがトップリーグ5連覇
宮坂氏が会長に就任
学生サムライズによる中国遠征。上海レッドデーモンズに勝利
2009東京ゴアナーズがトップリーグ4連覇
山本氏が会長に就任
新たに名古屋レッドバックスを迎え、7チーム体制でのトップリーグが始まる
2008東京ゴアナーズがトップリーグ3連覇
東京レパーズが学生カップ優勝
日本代表サムライズが第3回AFL International Cupに出場。参加16か国中8位
2007大阪ディンゴーズがトップリーグに参戦し、6チームでのリーグ戦が始まる
東京ゴアナーズがトップリーグ2連覇。
専修パワーズが大学カップ2連覇
2006国内リーグの名称をトップリーグと定める。優勝は東京ゴアナーズ
大学カップを開催。優勝は専修パワーズ
学生サムライズを解体し、駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズが国内リーグに参戦
東京ゴアナーズ、ゴーコンズを含めた、5チームでのリーグ戦が始まる
大学カップ優勝は専修パワーズ
2005駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズの3チームによる年間を通した大学リーグ戦が行われる。優勝は専修パワーズ
会長の山本氏が退き、新会長に宮坂氏が就任
国内リーグ優勝はサムライズ
日本代表サムライズが第2回AFL International Cupに出場。参加10カ国中総合9位
Arafura Games 2005 にて総合2位、初の国際タイトルである銀メダルを獲得
2004国内リーグ優勝は東京ゴアナーズ
学生サムライズから派生したチーム、駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズが誕生
JAFA前会長飯田氏が退き、JAFL会長に山本氏が就任
AFL(Australian Football League)の傘下に入る
日本語名称を日本オーストラリアンフットボール協会、英語名称をJAFL(Japan Australian Football League)へ改名。
国内大学チームによるカップ戦を開催。優勝は東京レパーズ
2002AFL(Australian Football League)主催、第1回International Cupに日本代表サムライズが出場。参加11カ国総合10位
2001本国オーストラリア同様、グランドファイナル形式による優勝決定戦。年間を通した協会からのAwardなどを組織
大規模な組織改革により代表強化・普及を目的とし、東京にある3チームによる国内リーグが発足
Arafura Games 2001 4位
1999Tokyo Gannas(在日オーストラリア人チーム)、Tokyo Go-Kongs(社会人チーム)、Samurais(学生チーム)の3チームによる定期戦が開始
Arafura Games 1999 総合8位
1997Arafura Games 1997 総合6位
19952年に1度、オーストラリアの都市Darwinで開催されるArafura Gamesに初参加 総合4位
1990各大学にチームを持つスタイルから、全ての大学を一つにしたチーム Samurais が誕生
19894月、専修大学Bombers創部
1988在日豪州人チームTokyo Battlersとの定期試合が始まる
日本オーストラリアンフットボール協会(Japan Australian Football Association:JAFA)が設立される
9月、慶應Hawks、初豪州遠征
VFLのファイナルシリーズの観戦、HawthornでのAllan Jeans氏によるトレーニングセッション、North Melbourneでのトレーニングセッション
最後にSunbury FCのU-18と練習試合(初の国際試合)を行う
1987Hawthorn vs Essendon

試合会場:横浜スタジアム
試合人数 :1チーム15人制+交代枠5人
グラウンド:人工芝

勝利チーム:Hawthorn
観客数:約13,000人
Produced by フジテレビジョン

前座試合として初の日本人オージーボールの試合
慶応大学Hawks vs 早稲田大学Bombers が組まれる

両大学のメンバーはフジテレビの支援を受けた合宿・試合を実施。
来日中のEssendonのPaul Salmonが臨時コーチを担当
その際Essendonから本番の試合後、日本での練習や試合の発展を願いボールが寄付された
1986TBS、テレビ朝日にて初めてオーストラリアンフットボールが紹介される
11月3日(文化の日)、日本初のオーストラリアンフットボールの試合が開催される

Hawthorn vs Carlton

会場:横浜スタジアム
試合人数 :1チーム15人制+交代枠5人
グラウンド:人工芝

勝利チーム:Hawthorn
Best on Ground:Robert Dipperdomenico

イベント主題歌:J-WALK
実況:古館伊知郎
解説:松尾雄治
Hawthorn/審判団通訳:飯田健夫(元JAFA会長)
Produced by フジテレビジョン
総観客数:約25,000人